ひとり旅 ディエンビエンフーの山村

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刈り入れを終えた棚田

 

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ひと気のない峠で少女と出くわした。下の棚田を指さし身振り手振りで「お父は刈り入れの算段をしている」と言う。指で○と×を作ってok?と問うたら笑顔で振り向いたのでシャッターを切らせてもらった。遠くてよく見えないが写真を広げると棚田の隅に父の姿が見える。

 

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じゃあねと別れて次の峠でぶらぶらしていると後でバイクの音がする。後部座席は先程の少女だ。背中の鞄は学校指定のものだろう、同じ鞄を背負ってバイクに二人乗り三人乗りで山道を行く姿を何度も見た。以下は私の想像にすぎないが、ベトナムの山村でも教育改革が行われており、山の子を町に集めて広く教育を普及させようとしている。そのために親はバイクでけっこうな行程を往復せざるを得ず、時間と経費がかかるけれども、そこを何とか頑張ってくれという政府の補助事業があるのではないだろうか。

 

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道の向こうの谷間には小さな集落があり、さらに道は続く。

 

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ベトナムの在来家屋は高床式が基本だ。峠の民家は頭が入母屋、足元の深い軒がピロティを作る。土を残した自由空間が清々しい。

 

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谷間の集落。家屋数は少ないが子どもは多い。目を凝らせば細い電線が見えるから夜になれば家々から赤い灯が漏れるのだろうが、バイクと電線を除けば昔ながらの山村だ。

 

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少数民族の衣裳を着た子ども。何族かは知らない。

 

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山の天気は変わりやすい。にわかに暗雲が立ち込め庭に干した玉蜀黍を取り込むお母さん。

 

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木と竹で編んだ囲い。野菜でも植えるのだろう。

 

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農地に転がっていた鋤? たぶん稲田の代掻きに使うのだろう。金属類は一切使われていない。昔むかし弥生期のわが国でもこのような農具が使われていたのかもしれない。

 

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いなせな横顔の兄さん。胸元から充電器付きのスマホが顔を出す。牛の世話をしながらゲームでもやっているのだろうか。

 

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バイクで通りすぎるのは勿体ないので峠の村を歩いていると放し飼いの地鶏が雛を連れ草地で遊んでいた。蕪村が「春風馬堤ノ曲十八首」で詠んだ鶏の親子を思い出し、江戸期の農村はこのようではなかったかと暫し空想に耽った。

 

雛ヲ呼ブ籬外ノ鶏

籬外草地ニ満ツ

雛飛ビテ籬ヲ越エント欲ス

籬高ウシテ墜ツルコト三四

 

おっかさんが呼ぶので囲いを越えようとするが、垣根が高くて「墜ツルコト三四」と雛の覚束ない足取りを「三四」と詠んだ詩人の数の扱いにあらためて敬服する。

 

「春風馬堤ノ曲」は奉公人が暇をもらって田舎へ帰る「藪入り」の日に、たまたま親元へ向かう娘と出くわした作者が、みずからの目を少女に仮託し、和漢朗詠集のごとく発句と漢詩を織り交ぜて詠んだ小さな物語である。茨に引っかかって着物の裾を裂き太股を傷つけた娘の清純な肌を「くんヲ裂キ且ツ股ヲ傷ツク」と詩人は漢詩で覆う。一歩間違えば谷崎潤一郎ばりのフェティシズムに転落しそうだが、蕪村はその手前に踏みとどまって句を詠み、詩を作り、十八首を連ねて読み手の心に映画を流す。娘は雛であり故郷で待つ母は親鳥だ。末尾は大祇の句「藪入りの寝るやひとりの親の側」を引用して終わる。

 

個人の趣味を押し売りするつもりは毛頭ないのだけれど、ご関心の向きには是非ネットを検索していただきたい。日本文学史にこれほど美しい詩が他にあるかどうか寡聞にして私は知らない。

191203記

ひとり旅 森のバイク

 

 

 

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ディエンビエンフーの町が標高400m強だからここは1000mほどの峠。山の細道はバイク専用道である。

 

 

 

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町のバイクは子どもを3人も乗せるが、

 

 

 

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山のバイクは大きな荷物を運ぶ

 

 

 

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二輪が踏みしめた幹線は歩くにはよいが車は通れない。

 

 

 

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道の向こうに子どもが見えた。バイクを運転しながら首にかけたポーチからカメラを取り出しシャッターを切ったらブレもせず写っていた。年式の古いキャノンのミラーレスM2から最新のM6に替えたのだがそれなりに性能の向上が実感できる。旅のカメラは軽さが一番。M6に22㎜のパンケーキを嵌めズームは足で、、

 

スマホが進化し、コンパクトカメラが売れなくなったので、ヤケを起こしたメーカーが一眼で蓄積した技術をミラーレスに放り込んだのではあるまいか。分厚いマニュアルには驚くべき新技術が盛り込まれ、技術者の博覧会を思わせる賑わいだが、とてもじゃないけど素人には手に負えない。便利な機能がありすぎて却って不便だ。ロバート・キャパ沢田教一が白黒で撮った一枚がずんと心に響くことから、機械の性能が良いからといって写真の感動が増すというものでもないのである。

  

 

 

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1日700円ほどで借りたホンダ。ベトナム国民食「フォ」が一杯200円ほどだから700円が高いのか安いのか分からない。排気量は125cc前後、2速にすれば大概の坂道に対応できる。オフロードをがんがん走るにはサスペンションに問題は残るが、前輪はディスクブレーキだから制動に不安はない。レンタル屋は借り手の免許証やヘルメットには関心がないのでとても気楽だ。ただし整備にも興味がなさそうなので要所は自己責任でチェックせねばならない。

 

BMWハーレーダビッドソンという趣味のバイクはかろうじて生き残っているが、世界中のカメラとバイクは全部日本製と言っても大きな間違いはない。スポーツ写真はニコンとキャノンが占有し、地球上の道という道にはホンダ、スズキ、ヤマハカワサキが溢れている。にもかかわらず原付50ccというひ弱なバイクが車の行く手を塞いでトコトコ走る国は日本だけだろう。F1が300㎞/hでぶっ飛ぶ時代に30㎞/h以上出してはならぬ。右へ曲がるときは二段階右折しなさいという不思議な交通法規が21世紀の今も活きているのだ。ウサインボルトの最高速度は45㎞/hだから彼が国道を走ると逮捕されるかも知れない。ところが三輪車にはヘルメットの着用義務がなく改造ハーレーの三輪に跨がって髪を靡かせるライダーを警察は止められないのである。野暮な国から脱出すると自由な風が頬を打つ。雨さえ降らなければ二輪ほど素晴らしい乗り物はなく、旅の極意は貸しバイクにあると知った。

 

 

 

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道端ブティック

 

 

 

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ヒルの子そこのけそこのけホンダが通る


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ひとり旅、ディエンビエンフーの子どもたち

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道端で買った砂糖黍と湯掻いたピーナッツをお弁当にして、

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ガードレールの代りに樹が植わった道を走り、

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緑に包まれた村を越え、

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所々に稲穂が残る秋の山を上ると、

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水牛と赤牛が稲の茎を食んでいた。

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初めてディエンビエンフーの農地に入ったとき刈られた稲の背が高いことに気がついた。稲刈りの現場を見たわけではないので正確なことは言えないが、穂の近くに鎌を当てるらしく刈り入れ後の農地はほったらかしの坊主頭のように茎が伸びている。それを牛が食べる。天然の堆肥が撒かれる。やがて牛の力で土が掘り返され、新たな春を迎えるというサイクルなのだろう。この辺りの村はヒトの数よりウシが多い。

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走り疲れてバイクを停めると、あら懐かしや子どもたちが「ビッチョ駒」で遊んでいた。棒の先に付けた紐で駒をぐるぐる巻きにして投げると駒は勢いよく回る。昭和30年代の高知県宿毛市和田の子どもは小学校の校庭に集まって同じように駒を回し、回る駒を引っぱたいて先へ進め、ゴールに一番乗りした者が勝ちだった。

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ここのルールはよく分からないが、手に持つ駒を回る駒にぶつけて弾く。敵の駒はふっ飛び自分の駒が回りながら残る。その繰り返しという遊びらしい。子どもに駒と笞を借りて投げてみたが、なんせ半世紀も昔にやったことなのでコツが思い出せず、駒は地べたに倒れてお終い。そんなことより屈託ない子どもの笑顔が印象的であった。

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そこにあらわれた牛飼いの少年

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少年が笑うと牛も笑う

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田んぼで遊んでいた女の子が寄って来た。橋の上でカメラを向けたらゴレンジャー?のポーズで決め!

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牛飼いの少年にカメラを取られて並ばされた。おっちょこちょいの少年がカッコ付けたが、

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足の長さが足りなかった

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電線もあるにはあるがくらいの村なので、牛飼いの少年はカメラに触ったことはないはずだが、教えたわけでもないのに再生機能を一発で見抜き、もう何年も使ってるよという手つきで首にカメラをぶら下げ田んぼへ走った。ホテルで開けると仲間の笑顔がいっぱい写っていた。職業的直感で言えば、この少年は頭が良くて体は元気、幼年期に感性を磨き、人格的にも方向づけされている。鍛えたらけっこうな人物になりそうだ。もしもこの村の小学校で雇ってもらえたら愉しい余生が送れそうだなあと夢のようなことを考えながら、

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やたらと牛がいる村を見渡し、

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木陰で遊ぶ女の子たちに手を振った。

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街に戻ってディエンビエンフーの中心地にあるA1の丘を訪ねたらここでも子どもが遊んでいた。

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小さなお店で大好物のココナッツヤシを見付け、ストローを使いながらひと休みしていると丘にいた子どもと目が合った。カメラを向けたらポーズをとるので、こちらも笑顔でシャッターを切っていると仲良し4人組みはだんだん間合いを詰めて来、

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ついにストローを奪われてしまった。

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歳は幾つと訊いたら指を7本広げたので日本で言えば小学校1年生なのだろう。牛に囲まれ田んぼで遊んでいた村の少年少女とは着ている服も身のこなしも違う。少女は耳飾りを少年は首飾りを付けている。かりに村の子と街の子ではどっちが好きかと問われたら、それは愚問だと答える他ない。天真爛漫という意味では村の子のカチだし、街っ子はちょっとした仕草にエレガンスが見えて愉しい。いずれにせよ親の庇護を受けて楽しく遊べる年齢は小学校か中学校で終わる。その間に心と体を鍛え、読み書きパソコンをきっちり学んでおかないと人生が狭くなるぜって、つい説教じみたことを、、

 
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ひとり旅、ハロン湾

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旅の締めに世界遺産ハロン湾ツァーに参加しました。負んぶに抱っこの1日旅はとても楽なはずでしたが、

参加者の国籍はインド、フランス、メキシコ、ベトナム、コロンビア、オーストラリア、ニュージーランド、日本はぼく一人、ガイドはアメリカ育ちのベトナム人で共通語は英語→ぼくの旅人英語ではさっぱり聞き取れず小島で洞窟見学したあと置いてけ堀にされて焦りました^^;

ぼく以外はみな仲良し2人連れ、若いカップル、初老のご夫婦といった組み合わせでした。皆さん長旅の途中でこのツァーに参加したのでしょう。旅は気の合った仲間と弥次喜多するのが一番です。が互いの条件がぴったしカンで一致することは滅多にないので自由が欲しければひとり旅しかありません。

しかし旅の感動を誰かと分かち合いたいのも人情で、映画だって2人で観たあとおしゃべりしながら家路につくのは人生の大きな愉しみだろうと思うわけです。

初めての町に来て一人ぼっちでいるのは不安なものでご飯ひとつ食べるにしても土地のルールが全くわからないから慣れるまでは何を選びいくら払えばよいのかさっぱりわかりません。そこにつけ込むぼったくりのワザは芸術の域にあるから気をつけろと本やネットで脅されたもので、だんだん疑心暗鬼になるのでした。

ダイビングは危険回避のため2人で行くのが絶対のルールです。ひとりと2人の違いを海ほど明快に教えてくれる場はないでしょう。寂しい悲しいという孤独の感情はオカのものです。底の見えない磯で仲間の姿を見失った時の恐怖は理屈を超えたものがあります。海も旅も肝試しみたいなところがありますね。

てなことを考えていると同行のインド人女性がそっと寄ってきて Are you alone? と訊くからアローンには孤独とか寂しいという意味もあったかなと受験英語を思い出していると彼女ぼくのカメラで記念写真を撮ってくれました。せっかく女性が声をかけてくれたのに、そこから先に進めないのが語学音痴の悲しいところです。

閑話休題。ハは降りる、ロンは龍、海面に突き出た小島の群れはドラゴンがご降臨賜った有難い島々なのだそうです。1994年世界遺産に登録され旅行者を集めてハロン湾クルーズは大賑わい。船べりから見えるだけで30隻以上の客船がいたから全部で何隻の船が稼動し日にどれだけの数の観光客が運ばれるか想像もつきません。

ぼくらのツァーが行ったのは3つです。海から突き出た山のてっぺんに登る→修行時代の悟空とクリリンが牛乳配達したような(^^ ほぼ垂直上がりの石段で、心臓が弱い者はやめとけという注意書きがありました。

次は別の島で少し石段を登ったところの洞窟に入りましたが、龍河洞も秋芳洞も知っている自分はチラと見てひとりで戻りました。ところがいくら待っても誰も帰って来ないので係員に聞くと帰り道は別にあるのでした。修学旅行でヘマした奴がどうなるかぼくはよく知っているので焦りました。

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締めはカヤックまたはバンブーボートを選び、海面ぎりぎりにぽっかり空いた鍾乳洞から内側へ滑り込むと火口湖を思わせる見事な円形の空間が広がっていました。

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エコツァーという言葉は知っていましたが実際に参加するのは初めてです。桂林に海水を入れたような見事な風景がある。世界遺産という宣伝文句が置かれた。さて、風景は壊したくないが稼ぎは得たいという連立方程式ベトナムの人は如何なる解を与えたか、

1.高い山に自分の足で登って景色を眺める。2.鍾乳洞へ潜り込む。3.若者は2人でオールを使う。バンブーボート(といってもFRPでしたが)で低い位置から島を見る。よそのチームには高速艇でぶッ飛ばすアトラクションもありました。カーブ切ったとき横にかかるGが気持ちよさそうですね。

といったイベントを高効率にどんどん回転させると汚染は極小に、稼ぎは極大になるうまい仕掛けでした。たぶん山や川あるいは農村体験の類も似たようなパターンだろうと思います。

もしぼくがこの観光ビジネスをデザインせよと言われても、稼ぐべしの1項目があるかぎり落ち着くところはその辺りだろうなと思います。

しかしみんなで持ち寄って全員参加の祭りを作ろうというイベントなら手立ては別にいくらでもあります。ぼくの50代前後の十数年はKoreaの学生を山の町に迎えてどんちゃん騒ぎしたりマジな議論をしたりの夏でした。よそ様の町の人間関係にそっと忍んで企画を持ち込むのは激しいプレッシャーがかかりますが、それでは左様ならと手を振った毎夏の寂寞の中でひとつの節目にはなったのだろうなと思っています。

だいぶ交流事業のノウハウを積んだので退職後は旅行社の知り合いを交えてちょっとしたビジネスも考えていたのですが、震災翌年の大統領が妙なことを言いだしたかと思うと次の大統領いまの大統領と鬱陶しい話ばかり持ち出すので冷めちまいました。(某編集長にからかわれそうなので以下は点描で)

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ひとり旅、pm2.5

晴れているのに青空が見えない。霧でも靄でもないのに遠くが霞む。サパ→ラオカイ →ハノイへ向かうバスの中で何か変だぞと思ってましたが、これが噂のpm2.5なんだと得心しました。高知で言えば年に何度か見られる強い春霞のような状態です。黄砂とpm2.5が一緒にやってくるのでしょうけれど、

高知はChinaから遠いし四国山地でガードされているのでpm2.5の影響はないとしたものですが、日本海の晴れ渡った空には一定の高さに汚れた空気層が挟まれていることがあります。福岡のスモッグはまず間違いなく大陸の影響を受けているとしたものでしょう。

台湾の西海岸、高雄に向かう飛行機から汚れた霞のうえに高層ビルが顔を出しているのを見て土地の人に「これは大陸から来たpm2.5の影響か」と問うたら「台湾自身の排ガスの影響が多い」とのことでした。しかしフツーに考えてあの距離だと関係がないとは言えないでしょうね。

台湾には5つの山脈がありニイタカヤマノボレで有名な最高峰玉山は3952mもあります。台湾の花連市に住む人が「山の壁で遮られた東海岸の空はきれいですよ」と笑っていました。

上海を旅行した友人によると日本のメディアで伝えられるほど深刻な表現はしませんでしたが「向かいのビルが霞んでいた」そうではあります。ただちに健康上の影響はないにせよ(どこかで聞いた文句^^;)開放経済後にせっせと働いて得た対価が自宅に高性能空気清浄機を取り付けることであったらChineseの幸せって何でしょうね。

ぼくが学生のころ新幹線で川崎市あたりまで行くと東京の上空に汚れたクラゲが漂っていました。光化学スモッグという言葉が作られた時代でアルバイトで新聞配達をしていると目がチカチカすることもありました。

やがて自然保護が声高に叫ばれ環境技術の進展もあって日本の空はきれいになりました。工場地帯の「七色の虹」は戦前の話だし、石原慎太郎が自分の手柄にしたきらいがあるディーゼル車の排ガス処理は技術者の勝利です。

むかしバンコクへ降りたとき、これがたまるかさっさと逃げようと思ったくらい街の空気は汚れていました。が昨年来ぼくが歩いたタイ、ラオスベトナムに限って言えばバスやダンプがイカの墨を吐きまくる風景はなかったです。

pm2.5は漢字で言えば靄のような汚染物質なのではないか、粒子が微小だから布のマスクで防げるとは思えませんが、そこは人情、鼻と口を覆えば安心感が得られることからか、ハノイの道には、黒ありピンクあり花柄あり色とりどりのマスクがバイクとともに流れて行きます。pm2.5が生んだ新文化かもしれません。


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写真はラオカイ からハノイへ向かうバスの窓から
pm2.5を絵に撮るのは難しいです
霞む遠景からご想像ください

 

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ひとり旅、昭和30年代の農業

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空から見たディエンビエンフーの農地は大面積に区画され、きれいな田の字が並んでいるから、ひょっとすると大型機械で近代農業をやっているのかなと思いましたが、バイクで走ってみると全然ちがい、ぼくの記憶にはっきり残る昭和30年代の農業なのでした。

田んぼに植えている水草のようなものを稲に置き換え、おばさんに定規を持たせたら丸ごと昔の田植えです。今年92歳になる母は田植えも稲刈りも腰を曲げてやってたもんです。

今どきの日本で手植えの稲だなんて皇室の御料所くらいのもの多分このブログを読んでくださる方もピンと来ないだろうと思います。

現代農業は機械の回転力に合わせた石油農業です。高知の農業はまだしも人間くさいところがありますが、北海道で田植え、稲刈り、大根引き、ジャガイモ掘りを見たときはぶったまげました。

ぼくが生まれた1950年代は農業人口と工業人口がクロスした時代であり経済学者には興味深い時期なのだそうです。機械が十人力百人力を出せば不要になった生産人口が工業に移るのは当たり前、農業技術のとんでもない進化と相まってウチのトマトハウスさえ信じられない生産効率を上げています。

その一方で、こんな乱暴な農業がいつまで続くのだろうとふと我に返って未来を見詰めることがあります。農林水産、工業商業の全てにおいて人類はパンドラの箱を開けちまったと考える他ないでしょう。

友人に「この文明はいつまで続くんだろ?」と訊いたら彼は「これって文明というのだろうか」と呟きました。それは実は誰もが感じているに違いないのですが、対案を持たない質問には答えようがないので、苦笑いして話題を変えるのが大人の態度なのでしょうきっと。

環境大臣の発言には具体性がないという批判があります。それはそうなんだけれど「じゃお前なんかいいアイデア持ってんのか」と逆襲したら書いてなんぼのメディア諸氏は引っ込むはずです。

バイクで農地を走りながら田んぼや煙突を「オールウェイズ3丁目の夕日」が赤く染めた頃が日本人にとって一番幸福な時代だったのだろうなとつくづく思います。

ディエンビエンフーではぼくの親父が昭和30年代に使っていたトラクターが現役です。なんと水牛に鋤を引かせてる農夫もいるのでした。

水牛🐃を知ってますか? 悟空と対決した忍者が卑怯にも騙して使ったブーメランみたいな角を持ち一見怖そうですが、田んぼの水牛は本当に優しい目をしています。その水牛と二人連れで田を耕す農夫の姿を見、記憶のぎりぎりまで辿って亡父が牛を追う声さえ思い出し涙が出そうになりました。

それはお前の郷愁だよ感傷にすぎないと冷ややかな視線をくれる人がいることは職業上よく知っています。が現代文明が袋小路に陥った今どこかに対案を探るのであれば土と人間の関わりを振り返らねばならないと思うのです。

ノーベル賞で走れ走れと駆り立てるより経済学賞あたりで、いかにブレーキを踏むかをタブーなく議論する勇気が要るのだろうと思います。後ろ向きの賞だからとても難しいことは誰にもわかりますが、、


191021

 

 

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