ひとり旅、ディエンビエンフーの子どもたち

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道端で買った砂糖黍と湯掻いたピーナッツをお弁当にして、

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ガードレールの代りに樹が植わった道を走り、

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緑に包まれた村を越え、

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所々に稲穂が残る秋の山を上ると、

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水牛と赤牛が稲の茎を食んでいた。

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初めてディエンビエンフーの農地に入ったとき刈られた稲の背が高いことに気がついた。稲刈りの現場を見たわけではないので正確なことは言えないが、穂の近くに鎌を当てるらしく刈り入れ後の農地はほったらかしの坊主頭のように茎が伸びている。それを牛が食べる。天然の堆肥が撒かれる。やがて牛の力で土が掘り返され、新たな春を迎えるというサイクルなのだろう。この辺りの村はヒトの数よりウシが多い。

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走り疲れてバイクを停めると、あら懐かしや子どもたちが「ビッチョ駒」で遊んでいた。棒の先に付けた紐で駒をぐるぐる巻きにして投げると駒は勢いよく回る。昭和30年代の高知県宿毛市和田の子どもは小学校の校庭に集まって同じように駒を回し、回る駒を引っぱたいて先へ進め、ゴールに一番乗りした者が勝ちだった。

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ここのルールはよく分からないが、手に持つ駒を回る駒にぶつけて弾く。敵の駒はふっ飛び自分の駒が回りながら残る。その繰り返しという遊びらしい。子どもに駒と笞を借りて投げてみたが、なんせ半世紀も昔にやったことなのでコツが思い出せず、駒は地べたに倒れてお終い。そんなことより屈託ない子どもの笑顔が印象的であった。

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そこにあらわれた牛飼いの少年

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少年が笑うと牛も笑う

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田んぼで遊んでいた女の子が寄って来た。橋の上でカメラを向けたらゴレンジャー?のポーズで決め!

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牛飼いの少年にカメラを取られて並ばされた。おっちょこちょいの少年がカッコ付けたが、

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足の長さが足りなかった

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電線もあるにはあるがくらいの村なので、牛飼いの少年はカメラに触ったことはないはずだが、教えたわけでもないのに再生機能を一発で見抜き、もう何年も使ってるよという手つきで首にカメラをぶら下げ田んぼへ走った。ホテルで開けると仲間の笑顔がいっぱい写っていた。職業的直感で言えば、この少年は頭が良くて体は元気、幼年期に感性を磨き、人格的にも方向づけされている。鍛えたらけっこうな人物になりそうだ。もしもこの村の小学校で雇ってもらえたら愉しい余生が送れそうだなあと夢のようなことを考えながら、

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やたらと牛がいる村を見渡し、

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木陰で遊ぶ女の子たちに手を振った。

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街に戻ってディエンビエンフーの中心地にあるA1の丘を訪ねたらここでも子どもが遊んでいた。

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小さなお店で大好物のココナッツヤシを見付け、ストローを使いながらひと休みしていると丘にいた子どもと目が合った。カメラを向けたらポーズをとるので、こちらも笑顔でシャッターを切っていると仲良し4人組みはだんだん間合いを詰めて来、

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ついにストローを奪われてしまった。

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歳は幾つと訊いたら指を7本広げたので日本で言えば小学校1年生なのだろう。牛に囲まれ田んぼで遊んでいた村の少年少女とは着ている服も身のこなしも違う。少女は耳飾りを少年は首飾りを付けている。かりに村の子と街の子ではどっちが好きかと問われたら、それは愚問だと答える他ない。天真爛漫という意味では村の子のカチだし、街っ子はちょっとした仕草にエレガンスが見えて愉しい。いずれにせよ親の庇護を受けて楽しく遊べる年齢は小学校か中学校で終わる。その間に心と体を鍛え、読み書きパソコンをきっちり学んでおかないと人生が狭くなるぜって、つい説教じみたことを、、

 
191119記