ひとり旅、昭和30年代の農業

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空から見たディエンビエンフーの農地は大面積に区画され、きれいな田の字が並んでいるから、ひょっとすると大型機械で近代農業をやっているのかなと思いましたが、バイクで走ってみると全然ちがい、ぼくの記憶にはっきり残る昭和30年代の農業なのでした。

田んぼに植えている水草のようなものを稲に置き換え、おばさんに定規を持たせたら丸ごと昔の田植えです。今年92歳になる母は田植えも稲刈りも腰を曲げてやってたもんです。

今どきの日本で手植えの稲だなんて皇室の御料所くらいのもの多分このブログを読んでくださる方もピンと来ないだろうと思います。

現代農業は機械の回転力に合わせた石油農業です。高知の農業はまだしも人間くさいところがありますが、北海道で田植え、稲刈り、大根引き、ジャガイモ掘りを見たときはぶったまげました。

ぼくが生まれた1950年代は農業人口と工業人口がクロスした時代であり経済学者には興味深い時期なのだそうです。機械が十人力百人力を出せば不要になった生産人口が工業に移るのは当たり前、農業技術のとんでもない進化と相まってウチのトマトハウスさえ信じられない生産効率を上げています。

その一方で、こんな乱暴な農業がいつまで続くのだろうとふと我に返って未来を見詰めることがあります。農林水産、工業商業の全てにおいて人類はパンドラの箱を開けちまったと考える他ないでしょう。

友人に「この文明はいつまで続くんだろ?」と訊いたら彼は「これって文明というのだろうか」と呟きました。それは実は誰もが感じているに違いないのですが、対案を持たない質問には答えようがないので、苦笑いして話題を変えるのが大人の態度なのでしょうきっと。

環境大臣の発言には具体性がないという批判があります。それはそうなんだけれど「じゃお前なんかいいアイデア持ってんのか」と逆襲したら書いてなんぼのメディア諸氏は引っ込むはずです。

バイクで農地を走りながら田んぼや煙突を「オールウェイズ3丁目の夕日」が赤く染めた頃が日本人にとって一番幸福な時代だったのだろうなとつくづく思います。

ディエンビエンフーではぼくの親父が昭和30年代に使っていたトラクターが現役です。なんと水牛に鋤を引かせてる農夫もいるのでした。

水牛🐃を知ってますか? 悟空と対決した忍者が卑怯にも騙して使ったブーメランみたいな角を持ち一見怖そうですが、田んぼの水牛は本当に優しい目をしています。その水牛と二人連れで田を耕す農夫の姿を見、記憶のぎりぎりまで辿って亡父が牛を追う声さえ思い出し涙が出そうになりました。

それはお前の郷愁だよ感傷にすぎないと冷ややかな視線をくれる人がいることは職業上よく知っています。が現代文明が袋小路に陥った今どこかに対案を探るのであれば土と人間の関わりを振り返らねばならないと思うのです。

ノーベル賞で走れ走れと駆り立てるより経済学賞あたりで、いかにブレーキを踏むかをタブーなく議論する勇気が要るのだろうと思います。後ろ向きの賞だからとても難しいことは誰にもわかりますが、、


191021

 

 

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